2020東京オリンピック ボランティア体験記。

カテゴリー DAILY, FAVORITE
tokyo2020_5
コロナウィルスで延期となった、
2020年の東京五輪。

東京オリンピックのボランティアの募集が始まったのが、2018年の年末。
当時はまさか、東京五輪が2度目の延期になるなんて、想像もしていなかった。そこから約3年弱の時を経て開催。

個人的には凄い激動の時代に生まれたもんだ、と率直に思う。
中々の黄金世代だと思うのはオレだけだろうか。

18才っていう多感な年齢の時に1999〜2000年って世紀をまたいで、日本初開催のサッカーW杯をこの目で見て、9.11のテロ、3.11の大震災、未曾有のコロナウィルスを経ての、東京五輪開催。
ちなみに、オレの誕生日は、5月11日。 ”11”って何か激動の数字なのかな。

 

そんな話はさておき、満を辞してようやくやってきた東京オリンピック。
本来なら、世界中から観客が押し寄せてきて、とてつもない熱量とカオスな”TOKYO”を、本当に体感したかったと日本中の誰もが思った事だよね。

それが叶わなくなってしまったので、せめてボランティアでオリンピックの肌感を感じられたらと思って参加して参りました。

 

tokyo2020_34

 

ボランティアスタッフ支給グッズ

オリンピック開幕の1ヶ月前位に、ユニフォームグッズ一式アクレディテーションカード(関係者が首から下げているID)を受け取りに来てください、とメールが届き、六本木の受渡し会場に向かいます。

事前の研修時に予めサンプルを試着してサイズを登録しているので、その用紙を持ってアイテムごとに分かれている部屋に順番に向かいそれぞれもらいます。

 

tokyo2020_1

 

で、ボランティアスタッフとしてもらったユニフォーム一式は、

・ユニフォームポロシャツ×3枚
・ジャケット×2枚
・ボトムス×2枚
・シューズ
・ヒップバッグ
・ソックス×2枚
・バケットハット
・マスク×2枚
・水筒
(全てasics製)

 

tokyo2020_4

 

正直、貰い過ぎなんじゃないかと思うくらいのボリュームで、現に未使用な物もいくつかあります。しかも延期で辞退した人もたくさんいた様なので、かなり余っていると思う。

実際、大会終了後に希望者に無料で配布していたみたいだし。記念にとっておく予定だけど、数枚あるものは場合によっては手放しちゃうかも。

 

活動中にちょっと話した、ノルウェーチーム専属ドライバーの日本在住オーストラリア人女性が、本国で日本のボランティアユニフォームが凄い人気らしく、
「何枚支給されているの?終わったらそれどうするの?本国の友人達4.5人に買ってきてと頼まれているのだけど売っていなくて、良かったら1枚2万円くらいで売ってくれない?」と交渉された。

2万円が果たして安いのか高いのかは判断できなかったので、次会えたら持ってくるね、と伝えた。それっきり会えなかったけど。
この辺はあまりお金じゃないかな、とも思う。そもそもお金が欲しかったらみんなボランティアやっていないと思うしね。

個人的には次のパリ五輪観戦に行って、現地のボランティアスタッフとユニフォーム交換しようかなと企んでいる。

 

tokyo2020_3

 

これとは別に、1日¥1,000の交通費が都度チャージされる専用のVISAカードと、すかいらーくグループで使用できるボランティアスタッフ用の食事券も1日1枚支給される。
VISAカードは中々カッコ良くて、コンビニで決済する時などちょっとした特別感を味わえる。

お食事券はボランティア専用メニューが各店舗に数種類設定されていて、味やラインナップはまあそれなりだけど、普段仕事の昼食で使用させてもらった。

 

tokyo2020_2

 

tokyo2020_6

 

tokyo2020_7

 

 

ボランティアに参加登録をして活動が終わるまでを通して感じた事とびっくりした事と言えば、参加しているボランティアスタッフに性別問わず年配の人がとても多くて、しかもメチャクチャ熱かった。性別も男女同じ比率位だったかな。

逆に20〜30代世代がかなり少なく、やっぱりなんか時代を感じると言うか、オリンピックに対する思い入れとかが全然ちがうんだろうなとは思った。

別に、金ももらえないのに朝早い〜とか、みんなで東京五輪を成功させよう〜!とか、ダルいよね。笑
オレもそーゆー意味合いで参加した訳では無いしね。 

 

 

tokyo2020_18

 

 

ちなみに、今回オレのポジションは、選手村のドライビングサポーターで、「輸送」という役割なんだけど、
淡い期待はどこへやら、結論から言うと選手村へは入れませんでした。

 

ざっくり説明すると、選手村のエントランス付近にあるボランティアの待機所にて、前日にブッキングしてきた各国の選手団の役員や関係者、たまに運が良ければ選手を各会場まで運ぶと言う作業内容。
当初、タクシードライバーのようにピストン輸送するのかと思っていたら、ブッキングしてきたSH(ステークホルダー。各国関係者の事をこう呼びます。)をスケジュール通りに1日付きっきりで運転代行すると言う、ハイヤーのような役割。

なので、予約がFIXしていると早ければ朝9時からのスケジュールで運行して、1日最長8時間働くと言う中々の重労働。
遅番早番があります。早番は8時半から14時で、遅番は大体14時から23時。笑
予め、数ヶ月前より希望のシフトを提出していて、基本的にはそのシフト通りに予定を組まれて、その前日に翌日のスケジュールがメールで届くと言う仕組み。

これがまた、前日の23時頃にシフト確定連絡が来るので、ウカウカ調子こいて飲んでられないのです。
しかも、シフトの時間に間違いが多いので、何時に行ったら良いのか分からず、電話でキャンセルした日もあった。

 

tokyo2020_10

 

tokyo2020_13

 

tokyo2020_23

 

この背景にはおそらく、無観客になったりと様々な影響で予定よりもボランティアが余っていて、シフトの調節が難しかったんだと思う。

当然ながら運営委員会も組織も初めての事なので、開催日前後の最初の数日は待機所やオペレーションが全く機能していなく、さらに当初研修で教わった自動のキー開け閉めアプリケーション、”T-TOSS”というシステムもマニュアルや説明通りには一切稼働していおらず、スーパーアナログ状態で完全に全てがカオス。

様々な関係者とリーダー的な人が至る所でパニックになっていて、メチャクチャ忙しい居酒屋みたいになっていて個人的には見ていて超面白かった。責任者は相当大変だったと思う。

流石に日当くらい出てるんじゃないかな。ボランティアの域を超えてます。日に日にやつれてました。

 

tokyo2020_8

 

 

本当にお疲れ様でした。

 

次のページで、実際の1日の流れを記録しておこうと思います。

 


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です